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プライドの高い年上と部下!シカクいアタマをマルくする意味とは

プライドの高い年上と部下!シカクいアタマをマルくする ワーク
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シカクいアタマをマルくする意味とは?

シカクいアタマをマルくするとは、どういう意味か

知っていますか?

 

「シカクいアタマをマルくする」というのは、日能研

の電車内の中吊り広告で、以前まだ通勤をしている

時には、よく問題を解きながら夢中になったものです。

 

確か、小学校とか中学校、高校?の入試問題か何か

でしたっけ?

 

それとも、結構頭を捻らないとわからないなぞなぞ的な

ものでしたっけ?

 

あまり良く覚えていないのですが、私的には

「シカクいアタマをマルくする」意識で一生懸命

解いていたことは確かです。

「シカクいアタマをマルくする」とは柔軟性を持たせること?

「シカクいアタマをマルくする」という意識は

どういう意識かというと、私の解釈では歳を取ると

誰もが頑固になってしまい、人の話に耳を貸さなく

なるので、そうならないようにすることだと認識

していました。

プライドを捨てることは簡単ではない

その甲斐あってか、私は未だに人の話に耳を傾ける

ことができますし、妙なプライドも一切持ち合わせて

いません。

 

歳を取ると、プライドが邪魔をするんですね~。

 

プライドの高い人は、まず捨てる事なんかできない

と思いますよ!

 

「シカクいアタマをマルくする」ことを意識してきた

私だって、プライドを捨てることは大変でしたから。

 

やっぱり、会社生活が長いと、年上の上司と年下の部下

という関係が長く続いてしまうので、年下の言うこと

なんかにいちいち耳を貸さない会社生活が習慣になって

いましたから。

 

自分自身も、年功序列は当たり前という意識が常識でした

から。

 

それが今では、仕事に歳は関係ないというものに完全に移行

することができました。

 

完全ではないか。

 

私よりも年上の人は、いまでも崇めています。

 

しかし、自分が知らない分野では先任に年下の人が

いたとするならば、それは私よりも先輩だと意識を

することができます。

 

仕事というのは、働いている期間ではなくて中身が

勝負なんですよね。

 

だから、勿論中身で勝てない時はいつまで経っても

私は歳下の先輩には頭が上がらないし、例え勝った

としても私の中では先輩は先輩です。

 

但し、仕事の中身で勝っていたとしたら、悪いことは

悪いと指摘するだろうとは思います。

 

仕事に関しては、上司も部下も関係なくて、プライベートでは

歳上を尊重するというのが、私の考え方です。

 

そして、仕事に関しては常に底辺を意識して、吸収できるものは

漏らさず吸収するということを意識しているつもりです。

 

私がこのような考え方ができるようになったのは、やっぱり

プライドを捨てられたからだと思います。

 

別にプライドを捨てるという意識は毛頭ありませんでした。

 

しかし、ツイッター上で何度も恥をかいてから気が付いたら

大抵のことは全く平気になりました。

 

ツイッターで恥をかいたのは、わざとかいたわけではなくて

やっちまった状態でいくつも恥をかいたしだいです。

 

だから、今ではこれっぽっちのプライドも持ち合わせては

いないんです。

 

まさに底辺を意識して、自分よりも何歳も若い人に敬意を

表することもできますし、よきライバルとしてムキになって

競争することさえできます。

 

情熱ってあるじゃないですか。

 

情熱なんて、冗談でも自分の口からは言いたいとは

これっぽっちも思っていませんでした。

 

なんか、テレビのCMでもどこかの病院の先生が

「好きな言葉は情熱です!」って言ってるじゃない

ですか。

 

あのCMを観る度に全身が鳥肌状態になっていました。

 

ところが、歳を取ると情熱って薄れるんですよ!

 

若い頃のように、一生懸命何かをやり切ってやる

というエネルギーが湧きづらくなってくるんですね。

 

まあ、他の人はどうだか知りませんが、もしも私と

一緒なら、情熱が醒めてしまってくると思いますよ。

 

そんな状態で、プライドを捨てる事なんかできると

思いますか?

 

プライドを捨てる事って、決して簡単なことでは

ないと思いますよ!

感謝パワーとは

最近、私は感謝することは、どういうことかを学びました。

いつも感謝をしているサト愛さんに共感して

もらえたんです。

 

正直、これほどうれしいことはありませんでした。

 

なぜなら、共感というのは私の常日頃からの課題

であったので、それが感謝をしているサト愛さん

に共感をしてもらえたということは一歩前進したと

自覚することができたからです。

 

共感とは、することはできても、させることが

できなければ何の意味もないと思っています。

 

確かに人と共感できるということは、とても気持ちが良い

ことですが、私が目指しているのはそれではありません。

 

人に共感してもらえる術を身に付ける事に意味があります。

 

だから、私は喜びも一入でした。

 

しかも、サト愛さんは私が半信半疑だった感謝の意味を

確信に近づけてくれました。

感謝パワーは、やっぱりあって、それは自分の為に

なるということを。

 

正直、私は「感謝の向こうには何があるのだろう?」

ということから、感謝を続けてきました。

それによって、感謝をする立場の人間になることが

できたんです。

 

感謝をする立場の人間とは、やっぱり感謝をする相手よりも

自分がへりくだった意識が持てるようになるということだと

思います。

 

そうすることで、どうなるかというと、相手にされなくなっても

全然平気になれるということなんです。

 

相手にされなくなるということは、何かしらのアクションが

見えないところで起きていることになります。

 

しかし、自分には身に覚えのないことで、自分が意識を

しなければいけないことではないんですよ。

 

だったらどうすればいいかというと、私は以前と変わらずに

感謝を続けていけばいいんです。

 

自分に何か嫌われるような原因が思い当たらなければの

話ですが。

 

自分に対して、素直な行動を取っていればそれでいいんです。

 

私が引き続き、感謝の気持ちを現すことで、それが嫌なら

相手もその理由を話すことがあるかもしれませんから。

 

私は、裏でコソコソやることが大嫌いなので、自分が

されてもそれは当然嫌いなことなんですよ。

 

事実がわかって、自分に否があると思った時には

素直に謝りたいと思っています。

 

それ以外は、自分は感謝ができる限りは感謝を続けて

いきたいと思っています。

 

誰にでも感謝ができる要素は必ずあります。

 

ある人には、いつも朝の気持ちいい挨拶をありがとう!

 

ある人には、いつも可愛い動画をありがとう!

 

ある人には、毎朝綺麗なお花をありがとう!

 

ある人には、いつもためになる言葉をありがとう!

 

私の過ちに気づかせてくれてありがとう!

 

こんな感じで、相手に感謝ができることはすべて

「ありがとう」ということができるんです。

 

しかし、自分が相手に「ありがとう」と思えなくなった時

その時は、相手にするのを辞めればいいのですから!

 

あくまでも自分主動で物事を考えられるようになるので

相手の態度は全く意識しないで済むんです。

 

これが、以前の私なら相手に何か嫌われるような態度を

取られた時、自分も相手を刺激しないように相手から

離れるような態度を取っていましたから。

 

これが、今のところ私が感謝パワーだと自覚をしている

ものなのですが、合っているかどうかはわかりません。

 

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